ライブコラム「LIVE[nZk]007と澤野弘之の世界がもたらしたもの」

寄稿者:さだくに【$αdÅκμИi】(@1con_atrN6_WF07)様

澤野弘之の音楽を聴くことは、何故自分が音楽を聴くのか考えることに等しい。
だがひとたび生の演奏を見れば、たちまちその答えの一端が分かる。
私にとってLIVE[nZk]はそんな機会だと考えています。

ですが、LIVE[nZk]007を観て、その答えの意味合いが少しずつ変わってきたことを感じました。
私の中で生まれたその変化について、この場をお借りして書き残せたらと思います。
一個人の視点でしかありませんが、澤野さんの楽曲を聴いて生まれる感覚の正体を知りたい時、その一助となれば幸いです。

そもそも澤野さんのメインフィールドは劇伴音楽=アニメ・ドラマ・映画などの音楽であり、そんな御方が「本人名義でのライブを約3年ぶりに開催する」というのは少し不思議に聞こえます。
映像とセットである状態が自然と思われる音楽を、ライブでは単体で聴くことになるからです。
音楽の基となった映像作品群の文脈から少し離れ、単体の、純粋な曲として聴くことになる状況。それが澤野さんのボーカル楽曲ライブ、[nZk]としてナンバリングされたライブと言っていいかもしれません。
多くの人が澤野サウンドを知るきっかけは、アニメ・ドラマ・映画・ボーカルプロジェクトSawanoHiroyuki[nZk]名義の楽曲・はたまた他アーティストへの楽曲提供と、本当に様々かと思います。ですがLIVE[nZk]では、それら全てが「澤野弘之」として一つに集約されることで、付随する情報は一旦脇に置かれ、純粋に楽曲へ集中する状況ができあがります。
その時、映像作品とは違う形で音楽を耳にする時、自分は何を感じるのだろう?
澤野さん自身の音楽の、どこに惹かれるのだろう?
何が自分をこの会場へ向かわせているのだろう?
何を求めて音楽を聴いているのだろう?
[nZk]と冠されたライブへ行く度にいつもこんなことを試されている感覚に陥り、凄まじい状況下にいるなと思います。澤野さんのボーカル楽曲は決まって印象的な場面と強烈に結びつけられているので、尚更です。

そしてライブを観る度、それらの答えの一端に触れることになります。
澤野さんの楽曲でしか味わえない「ぶっ飛ばされる」という感覚。
つまるところ自分は、その感覚を手にするために聴き続けているのだと。
それは今回のライブも例外ではありませんでした。

個人的な感覚のため具体的な説明は難しいのですが、「ぶっ飛ばされる」と感じるのには複数の要因があるように思います。
生演奏・生歌・生音の迫力、という要因は言うまでもありません。むしろそれらが際立たせる、澤野さん特有の楽曲要素の方が、あの感覚を生起させてきます。
地を震わせ腹の底に響くドラムパターン。硬質かつ深淵なシンセリフ。
そこに立脚する重厚なバンドサウンド。流麗なのにヒリつくようなヴァイオリン。
そしてそれらの奥底からこちらの感情へ直接届くピアノの音。

全てが一体となって「澤野弘之の世界」を構築している。
その世界に戦慄し、歓喜し、圧倒され、ぶっ飛ばされるのです。

澤野さんの楽曲がこのように、凄まじいスケール感を伴って聞こえるのは、もととなる映像作品が壮大なことが多く、その世界に合う楽曲が求められたというのはあるかと考えられます。
ですがこのLIVE[nZk]において、眼前に広がっているのは澤野弘之「自身の」世界。
これまで劇伴を担当された作品群の文脈を内包しながらも、その全てに匹敵する、全く別の、途方もない世界がそこに広がっていました。
澤野さんの創る世界を前にすると、死の淵に立つ人を救う奇跡の業が、戦場と化した宇宙空間が、巨人や魔神の住まう大地だって、この現実に存在してもおかしくないのではないかと錯覚してしまいます。
そんな景色に対して自分があまりに矮小であることに、清々しささえ覚えます。
まさに神業、神の手によるものと言っても過言ではないとさえ、思ってしまいます。

LIVE[nZk]に行く度にそんなことを実感するのですが、今回の[nZk]007では、もう一つ、別の要素がこれまで以上に強く感じられました。
それは人の力です。

LIVE[nZk]はボーカル楽曲中心ライブのため、数多くのボーカリストが集まります。
澤野さんの楽曲に長年関わっている方、シングル・アルバムなど節目に招かれるゲストと、経緯は様々ですが、ライブの度あらゆる分野から集うメンバーの豪華さには、澤野サウンドの求心力の強さと懐の深さを感じずにはいられません。
そんな方々が一堂に会する場が実現できるのは、そこに深いリスペクトが満ちているからだと、ステージを見ることで確信できます。
澤野さんは折に触れ、MCなどでボーカリスト陣へのリスペクトの念を語っていたかと思います。久しぶりに、ステージに立つ方々と澤野さんの掛け合いを実際に見ると、その思いは紛れもなく本物だと実感します。
リスペクトの方向性も、澤野さんからボーカリスト陣、ボーカリスト陣から澤野さん、だけではなく、ボーカリスト同士、バンドメンバーの皆様、スタッフの皆様と、様々に入り乱れているように映ります。
LIVE[nZk]は、そんな場面が見られる機会でもあるのだと思います。
そして今回の[nZk]007では、ボーカリストの方々を通して、そんな結びつきの強さがこれまでになく伝わってきました。

今回不参加のYoshさん(Survive Said The Prophet)を背負って「女版Yosh」を名乗り、1曲目から必殺の「NEXUS」で、本家に匹敵する熱狂へ叩き込んだLacoさん(EOW)。
長年澤野さんを英語詞と男性ボーカルで支えるBenjamin&mpiさんコンビによる、共闘の「Gallant Ones」。
Do As Infinityへの提供楽曲「火の鳥」のmizukiさん(UNIDOTS)カバーは、2020年にDo As Infinityが参加した配信ライブでのアクシデントがなければ絶対に聴くことは叶わなかったカバーです。
一視聴者としてガンダムUCを見ていたReoNaさんによる「Into the Sky」カバーは、原曲PVのシーンを想起させるような新たな解釈を生み出しました。
オオカミ人間の一人たるJean-Ken Johnnyさん(MAN WITH A MISSION)が「theDOGS」をカバーしたのは偶然の一致か計算か知る由もありませんが、独特のシリアスさと哀愁が付与され、胸を打たれました。
LIVE[nZk]初参加かつ、ライブで歌を披露するのが2回目であったにもかかわらず圧倒的な歌声を放ったのは、ドキュメンタリーで澤野さんとのレコーディングを大きくフィーチャーされたSennaRinさんでした。
そして岡野昭仁さん(ポルノグラフィティ)。2019年の「EVERCHiLD」でコラボしたことが、岡野さん自身のソロプロジェクトの始まりを飾る「光あれ」に繋がり、「その先の光へ」と続き、この[nZk]007での全曲披露に結びついたことに奇跡的なものを強く感じました。
アンコールで披露された「Inferno」カバーは、2021年の初出時にはこの時限りと思われていたであろうことを考えると、これもまさに奇跡と言えるでしょう。

以上全てから、澤野サウンドにおいて人の要因、人の力は不可分なのだと分かります。
そこにあったのは、楽曲の持つ人智を超えたようなイメージとは真逆の、澤野さんたちが織り成す、有機的な人の繋がりでした。
こんな景色を、圧倒的な楽曲世界と共に見せてくれる澤野さん、ボーカリスト陣、バンドメンバー、スタッフの皆様には、本当に感謝しかありません。

私が澤野さんの音楽を聴く理由は「ぶっ飛ばされる感覚」を得るためでした。
これまで、澤野サウンドには幾度となく圧倒されてきました。圧倒されることを求めて聴いてきました。そうすることで自分の退屈や悩み、ひいては自分の存在そのものの矮小さごとぶっ飛ばしてもらえるから。振り返るとそんな考えがあったように思います。
しかし、LIVE[nZk]007を経た今、その意味が拡張しつつあるのを感じています。
強烈な人の要因を澤野サウンドの中に見た今、改めて澤野さんの曲を聴くと、こう思います。

澤野弘之の音楽は、まさしく圧倒的な神業。だがそれを実現しているのは人。
もし人の力でこんな景色が創れるのなら、矮小な人間である自分も何かできるかもしれない、と。

澤野サウンドの世界を創ることができるのは、澤野さんと、そこに集うアーティストの方々しかいないということは言うまでもありません。
ただ、人智を超えているとしか思えない世界であっても、そこには確かに人の手があり、有機的な人の繋がりが存在する。
その事実に大きな希望を見たのです。
澤野サウンドは人を簡単に圧倒していくけれど、ちゃんと人に向けて開かれているのだと感じられたからです。

だからこそ今、眼前の景色にただただ圧倒され、自分の矮小さを感じるだけで終わるのではなく、その先の方へ自分も足を進めてみたいと、新たに思います。
今、自分が澤野弘之の音楽を聴く理由は、そうやって「ぶっ飛ばされる」ことを通して、自力で前に進む力を手に入れたいからなのだと思います。

前に進むとは言っても、私にできるのは日々課題に直面しながら日常生活を送るくらいです。
ですがその傍らに澤野サウンドが開かれていれば、音楽を聴くことで、自分にも何か色々なことができる気がしてきます。
いずれ必ずやって来るはずの次回のライブまでは、澤野さんの音楽を聴いて得た力で、現実と向き合ったり、時にはうまく目を逸らしたりしながら、しっかり前に進んでいきたいと思います。
そして次に澤野弘之の世界が眼前に広がるとき、それがどんな景色で、自分はどれだけ前に進めているのか。
答え合わせができるのを心待ちにしています。

結びに、次のライブまでには、今回LIVE[nZk]007に参加することが叶わなかった全ての方々が、一切の気兼ねなく参加できる状況となることを、強く願います。
そもそもあんな景色は、生きているからこそ見られるのですから。


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