『バブル オリジナル・サウンドトラック/澤野弘之』楽曲解説
2022年5月13日 荒木哲郎監督作品『バブル』が全国劇場公開されました。音楽は今まで『ギルティクラウン』『進撃の巨人』『甲鉄城のカバネリ』とタッグを組んできた澤野さんが起用されました。企画・プロデュースには川村元気さん、脚本には虚淵玄さん、キャラクターデザイン原案には小畑健さんと日本を代表するトップクリエイターが集結するとともに、映画公開に先立ち、4月28日にはNetflixにて世界公開が行われるなど、大きく注目を浴びました。
今回、澤野弘之ファンサイト音龍として、楽曲のレビューはもちろん、皆様からの感想や考察をもとに映画「バブル」の映像音楽についてコラムを作成しました。
さらに嬉しいことに、久石譲ファンサイト「響きはじめの部屋」(@hibikihajimecom)様とのファンサイトコラボレーション!久石さんファンから見た澤野さんの音楽世界を興味深い切り口で解説を頂いております。
間違いなく、今後の澤野さんの活動にも大きな影響を与えたと思うこの「バブル」という作品を、このサイトならではの視点で、多角的に紐解いていきたいと思います。
(7月13日 更新分は楽曲解説までです。感想や考察は今後更新予定!)
(9月13日 さだくに【$αdÅκμИi】(@1con_atrN6_WF07)様からの寄稿を掲載!)
公式PVより
レヴュー①《ファンサイトコラボ》音龍×響きはじめの部屋
続いては、「バブル」サウンドトラックに収録された楽曲達をレビューしていきます。
冒頭にも書きましたが、今回、
久石譲ファンサイト「響きはじめの部屋」(@hibikihajimecom)のオーナー、ふらいすとーん様(@suonoarmonici)より素敵な解説を頂きましたので、こちらを中心に紹介するとともに、音龍側としての感想や澤野さん作品の繋がりなどを交えていきます。太字は音龍管理人による加筆です。
1.BUBBLE
まずはじめに。1曲目からすごいボリュームのレビューになっています。それはこの曲がすべての根源だからです。ここを素通りできないし省略もできない。2曲目以降はもっとテンポよく軽やかに進んでいきます。どうぞお付き合いください。
映画のメインテーマ、というよりもっとぐっと短いモチーフ。シンプルな5度の音型(ドーソー、ラーミー)をくり返しています。次のテーマが登場したあとも、少し形を変えながら後ろでずっと通奏しています。泡という最小単位だからこそ、ここまでピュアなシンプル音型を出したことがすごいです。循環モチーフのようになっていて、映画を有機的につなげる役割を果たしています。
学校チャイムを連想することもできるどほど記号化されたモチーフです。ドーソー、ラーミーはくり返して反復するときに逆再生になっている(ミーラー、ソードー)のもチャイムと同じ動きですね。だけれども、ここは音符からさらに迫っていきたい。5度の音型にしたかった理由。しなければいけなかった理由。
ハーモニーの両端を押さえている。ドとソは、間にミを挟めばドミソのコード《C》になります。ラとミは、間にドを挟めばラドミのコード《Am》になります。そして、間に挟むミはミ♭にすると《Cm》になるし、間に挟むドはド#にすると《A》になります。つまり、コードの両端をしっかり押さえることで、長調《C》《A》や短調《Cm》《Am》を超えたところにある俯瞰的な響きを獲得できることになるんじゃないか。明るいや暗いといった印象になる前の純度の高いもの。そうしてハーモニーをいかんなくカラフルにできる純粋無垢な素材こそ必要だった。それがバブルモチーフだ!すごい!
もっと深くいこう。パート1
ドヤ顔で上に書いたことに疑いの目を向けます。ドーソー、ラーミーを分けずにひとつにします。ドーソーラーミーと鍵盤から指を離さずに押さえていくと、「ラ・ド・ミ・ソ」の4和音になります。コードは《Am7》(エーマイナーセブン)といいます。3和音よりも少し複雑な響きや深みのあるセブンスコードです。元はシンプルな5度音型なんだけれど、響きあうことで涙腺を刺激するエモーショナルなものになる。七色(セブンス)の泡の輝きのように。そしてちょっと切ない感じ。
どうしてこう思ったかというと、何回も曲を聴きながら残響から感じるコンプリケイテッドな印象です。シンプル…シンプルな印象のまま終わらせてしまっていいのか…という疑いの目が僕に跳ね返ってきました。
さらに言う。実際に曲によってはドーソー、ラーミーと分けて2つのコード進行しているものもあれば、ドーソーラーミーをひと括りに1つのコードでハーモニーをつくってるものもあります。そう、ほんといろいろな技を繰り出せてしまうモチーフなんですね。
もっと深くいこう。パート2
作り込まれた音色について。ここも「ドーソーラーミー」のシンプルさからもっと深く。見逃してはいけないものが隠れていそうです。波形がとても細かく震えているように聴こえます。形を変えていく泡のように、形の定まらない泡のように、揺らいで震えている音色です。
人には聴こえない音、ふつうは通じ合えない音。クジラなどの動物たちが交信するときの特殊な音波のような、そんなイメージをもちました。それが二人には聴こえた。耳で、心で。映画『未知との遭遇』でジョン・ウィリアムズは5音のモチーフで宇宙と交信しました。澤野弘之さんは4音のモチーフです。
本来、生楽器は自ら音程を作りだします。音と音の間にはたくさんの音があります。ピアノはドからドまでで12音だけですが、弦楽器も管楽器もそして歌声も音程は無限にあります。このバブルモチーフもいろいろな音を重ねて震わせて。生楽器で作り出す音程を、生楽器では出せない音色でしてみせた。深い!
ちょっと音楽的にがんばってみます。「ドーソーラーミー」はとても複雑な響きをしているんじゃないか。それぞれ隣の音を引っ掛けて弾いてみてください。「シドー、ファソー、ソラー、レミー」です。同時に同じ大きさで鳴らすととても濁って聴こえてしまうので、ほんとはもっと軽く素早く引っ掛けるくらいがちょうどいいです。ひとつのわかりやすい実験です。とても複雑な響きを体感できませんか。それがこれがもっともっと重層的に作り込まれている。深い!
1曲目もう終わりますね。
映画のストーリーと一緒だなと思いました。どこまでもシンプルに見ることもできるし、どこまでも複雑に深く読み解こうとすることもできる。そんな映画だと思います。音楽もそうなのかもしれない。映画を象徴するバブルモチーフ「ドーソーラーミー」は、どこまでもシンプルに聴くこともできるし、どこまでも複雑に深く響いてもくる。
バブルモチーフは、「5.BB2」「6.MERMAID」「11.PARKOUR」「15.NE-SAMA」「16.BUBBLE-cho.」「17.BUBBLE-THEME」「20.色彩」でも出てきます。さて、その時どんな登場の仕方をして、どんな響きかたをしていくのでしょうか。楽しみですね。
バブルモチーフが登場する曲には、「ドシシラ、ドシシラ」という短い伴奏フレーズが出てきています。「1.BUBBLE」は中盤からストリングスとポコポコした電子音です。僕はこれを泡の源とイメージしています。バブルモチーフはある特定の泡(キャラクターをもった泡)それと区別しています。だから総称的でたくさんの泡たち「ドシシラ、ドシシラ」とバブルモチーフは同じところで登場することが多いのだろうと。このフレーズは「7.HIBIKI」「14.TOWER」「15.NE-SAMA」「16.BUBBLE-cho.」「17.BUBBLE-THEME」「20.色彩」でも出てきます。
余談)上のバブルモチーフの登場曲と比べてみるとおもしろいですね。よくかぶっています。そして「5.BB2」「6.MERMAID」「11.PARKOUR」では、泡の源と位置づけるフレーズは登場しない。それは映画どんなシーンだったでしょうか。好奇心です。
この曲が流れる冒頭シーンから早速、美しい色彩の映像美と澤野さんの音色を堪能できます。とても儚く美しい泡をこの楽曲が優しく包み込んでくれます。冒頭モチーフの後のサビのメロディは力強く、壮大。サビのコードは澤野さんの楽曲で随所に使われるF→G→Amのループ。調性はin C。
2.BATTLEKOUR
チームのテーマです。これだけ映像と物語をぐいぐい引っ張っていける曲ってすごいです。バンドっぽくもありでもロックほどギンギンしすぎない。生楽器も使った絶妙なグルーヴ感は海外エンターテインメントも見逃せないぞ!疾走感に快感です。
8分の6拍子の曲です。大股なメロディと躍動的なリズムパーカッションです。重心の安定したどっしり感にフットワークの軽さをあわせもった鼓動。本作はとりわけ乾いた太鼓系が印象的です。加えて、ストップウォッチの秒針のようにカチカチと細かく刻むリズムはスピードを味方にしてくれます。爽快感に抜群です。後半にヒビキのテーマも登場しています。
最初のバトルクールのシーンで使用されています。楽曲冒頭で奏でられるチェロの歯切れの良いフレーズは「8SIX <vcpf-ver.>」も連想できます。サビではオリエンタルな雰囲気も感じられるメロディ。後半で突如入ってくるヒビキのテーマは澤野さん作品ではあまり例を見ないフィルムスコアリングに近い印象を受けます。(KOHTAさんによるエディットなのかもしれません)。
荒木監督×澤野音楽で、印象的なバトルシーンでは8分の6拍子の楽曲が使われることが多々あります。「進撃の巨人」では「APETITAN」、「甲鉄城のカバネリ」では「Through My Blood」など、空中を飛び回るようなバトルシーンでの相性は抜群です。
3.BB
チームのテーマです。そもそもこのテーマはカラッとしたテイストで本作のなかでもコントラストが光ります。メロディも楽器群もエスニックです。僕は使われている楽器の音色なんかからあれこれ巡らせて空想がすぎるのでストップしました。チームの愉快さや楽しそうな雰囲気あって、いいですね。
「BATTLEKOUR」の日常曲アレンジバージョン。元はバトルシーン想定で作られた楽曲が、日常曲として流れてくると、澤野さんの編曲の巧みさに毎回驚かされます。「進撃の巨人」では「ThankAT」が「LENぞ97n10火巨説MAHLE」、「Re:CREATORS」では「BRAVE THE OCEAN」が「E:verydaytor1」などなど。
4.JU-RYOKU ver.2
曲名からみると重力、この曲はそんな重力の歪みを表現しているのでしょうか。バブルモチーフと同じく5度の音の連なりがベースにあります。「ソーレー」(ソから始まる5番目の音はレです)、「ミーファ#ー」(ここは1オクターヴ越えてる&大きく歪み)、「ソーシー」(5度+1のズレ)、「ミーラー」(5度)というように。
楽曲自体は4分近くありますが、劇中では少ししか流れていません。澤野さんの印象的なメロディが流れる時によく使用される調性のin Emが用いられています。タイトルの「ver.2」の由来も気になるところです。
5.BB2
チームのテーマです。中盤でバブルモチーフを聴くことができます。まるで新しくチームに加わったかのように。後半でチームのテーマは歌声になって聴くことができます。そして、このふたつとも合唱のような複数の歌声になっているのも注目ポイントです。まるで新しいチームのかたちのように。曲名からみても「ブルーブレイズ」バージョン2、曲構成もちゃんとそうなっていますね。もし、コーラスが共鳴していることを表現しているのであれば、それは「11.PARKOUR」にも同じようなところあります。
ウタがBBメンバーと出会って、早速パルクールの動きを始めるシーンで使用されています。中盤のバブルモチーフが流れる箇所も映像と音楽がピタリとマッチしています。
6.MERMAID
バブルモチーフ「ドーソーラーミー」がピュアなピアノになっています。濁りのないきれいな音色に。より純粋な想い。あるいは複雑な波形を必要とせずにストレートな以心伝心ができるようになった。そんなピアノ音色への変化と見てもおもしろいです。「1.BUBBLE」で聴けたバブルのテーマも流れます(バブルモチーフとは異なるメロディをもったテーマのことです)。
サントラでは澤野さんのピアノとストリングスの美しい調べを堪能できる1曲。劇中での使用は若干異なり、冒頭のピアノによるバブルモチーフは抜かれていて、バックで流れるストリングの音色のみが流れる構成に変わっています。物語の軸となる人魚姫の絵本とBBメンバーと過ごすウタの貴重な時間のふたつシーンにそっと寄り添う美しくて、儚い楽曲です。
7.HIBIKI
ヒビキのテーマです。「ドシシラ、ドシシラ」の短い伴奏フレーズも高音シンセで聴けます。なぜここで泡の源? なにかと遭遇してしまったから、なにかを取り込んでしまったからでしょうか。妄想がすぎるでしょうか。
本編では心が締め付けられそうになる悲しいヒビキの過去のシーンで流れます。健常者と同じ生活が送ることができない心の苦しさ、悲しさ、もどかしさをギターを軸としたシンプルなメロディで表現しています。
8.UTAtoHIBIKI
なるべくストーリーには触れたくないけれど。この曲だけは許してください。ヒビキとの出会いがウタをほぐしていく様子を音符たちで表現しているイメージです。バブルモチーフ「ドーソーラーミー」の最初の2音「ドーソー」を歌い出しにウタが自分の歌を紡いでいっている。このときのピアノ伴奏がドとソの和音で刻み支えているところもキラリです。そうして後半は大きく飛躍したウタを象徴するように、新しいテーマ・ウタのテーマが登場します。音域をみてもここでメロディは大きく跳躍しています。
劇中では、かなり重要なシーンで使用されています。わずか90秒の短い楽曲にバブルの要素を全て閉じ込めた楽曲で、初めて聴いた時から好きになったファンも多いはず。Bメロに関してはド、レ、ミの3音だけでとてもメロディアスに。まるでピアノを少し習ったら弾けちゃいそうなくらいに簡単で覚えやすい旋律。サビはAm→F→C→Gの循環コード。
10.BB×UT
映画を観た人なら、タイトル解いてどんなシーンかわかりそうです。乾いたリズムパーカッションの特徴は「2.BATTLEKOUR」はじめチームのテーマに同じです。この曲のメロディ(00:20-)には「9.UNDERTAKER」(00:45-)で聴けたものが登場しています。もっと言うとイントロもそうです。それぞれ冒頭10秒間をじっくり聴き比べてみてください。テンポとキーがかなり違うから見つけにくいけれど、同じ伴奏音型が使われていると思います。巧妙に隠されていますね。さながら決戦前夜の演出か、そんなことまで予感させてくれます。ニクい!
アンダーテイカー戦との開始早々で流れます。シリアスさにバトル要素を組み込んだいかにも澤野さんの得意技が炸裂する楽曲でもあります。劇中では、この楽曲の後半(2:10〜)は使用されていませんが、雰囲気は「キルラキル」より「犬Kあ3L」と共通するものを感じます。
11.PARKOUR
バブルモチーフ「ドーソーラーミー」が歌声によって登場します。複雑な響きをまとっていた「1.BABBLE」や、ピュアなピアノで響いていた「6.MERMAID」から、ついに歌声にまでなった。こういう変化を謎解き(こじつけともいう)するのがおもしろい!バブルモチーフを歌い終わって少しのメロディをつないでから、2音「ドーソー」だけを使って「ドソッソー、ドソッソード」とリズミカルにつづきます。心躍るようにバブルモチーフが跳ねている。こういう変化を謎解き(こじつけともいう)するのこそおもしろい!そこから先はいろいろな旋律が飛び出してきます。この曲はきっと好きな人も多いですよね。あとは感じるままに聴きましょう。
物語の大きな見せ場、アンダーテイカー戦の決着までに使用される楽曲です。実際にご覧になって印象に残った方も多いと思います。劇中の盛り上がりに合わせて、流れてくる澤野さんによるボーカル楽曲。清涼感たっぷりで夏の空の下で大音量で聴きたい感じもありますよね。近年のボーカル楽曲でも構築されているようなオケ作りも印象的です。カツン!という印象的に響く打楽器の音は「Avid」「dust」「RUSH」に似ています。冒頭のバブルモチーフの裏で流れてる打ち込みの音も「ドーソー」モチーフにリズミックに「ドーソードドッソ、ドーソードレッド」とモチーフを発展させたような音の配列に感動を覚えます。サビではコーラスも入り、あまりの力強さと爽快感に鳥肌が立ちます。中間〜後半サビにかけての不協和音の音は劇中の電車が出てくるシーンに基づいて、踏切の音のようにも聴こえてきます。
12.UTA
ウタのテーマです。「8.UTAtoHIBIKI」で生まれたテーマです。
前半はウタのテーマをストリングとホルンで荘厳な雰囲気で演奏されます。「閃光のハサウェイ」の「EARth」に通ずるような美しさ。このウタのテーマは劇中で、ウタとヒビキが心を通わせるシーンで流れるのが印象的ですよね。後半は続く「2nd BUBBLE」を連想させるようなメロディを抑えた構成になります。曲全体を通すと「群青のファンファーレ」の「group-BLUE」に近いものを感じます。
13.2ndBUBBLE
バブルモチーフが登場しています。なんとも不穏な「ドーソーラーミー」です。実はここホントは「ドーソーラー♭ミー、ミー♭ラー♭ソードー」といびつに音が半音下がっています。もし近くに楽器があったら試してみてください。モチーフだけを鳴らしてみると、なんとも水と油のように拒絶してしまう。でも曲として聴くとうまく融合している。冒頭からバブルモチーフの欠片「ミ,ラ」を基調としてピッツィカートなどで登場させているように聴こえます。対をなすように短調的な曲です。
タイトル通り「第二次泡降現象」のシーンで流れる楽曲です。この楽曲もメロディはグッと抑えられ、不穏感が全体を支配します。どこか「まれ」の「cry漢字」に共通するような雰囲気も。後半はエレキギターのサウンドも入ってきて、より焦燥感に駆られます。
14.TOWER
さて、ここで音楽実況スタートです。ヒビキのテーマがギターの音色と一緒にバブルモチーフの音色で始まる(00:00-)。ギターの音色だけに変わって「ドシシラ」のフレーズもストリングスで聴こえだす(00:30-)。そしてまたバブルの音色も重なってくる。通奏される「ドシシラ」はポコポコした電子音じゃない。粒子というよりは厚い泡の層のようだ。音楽は進む。次にバブルの音色だけでヒビキのテーマの欠片が奏でられる(02:00-)。呼びかけているのか。そして乾いたギターの音色がヒビキのテーマから変化したフレーズを奏でる(02:40-)。ヒビキのテーマからの3音とその動きが同じだからだ。ここは不安や葛藤なのだろうか。音楽は力強く振り切って進んでいく。またバブルの音色だけでヒビキのテーマの欠片が奏でられる(03:55-)。呼びかけているのか応えているのか。そうして終盤ヒビキのテーマはストリングス・ホーン加えてバブルの音色を巻き込みながら高らかに謳歌する。
澤野弘之さんの「ドレミファソラシド」を澤野節全開に発展させていく音楽動画を見たことがあります。あれはやってみたいことの実験、かたちにしたい構想の試行錯誤だったのかもしれないとさえ思えてきます。その充実した遊びが見事に実を結んでいるのがこの作品。高揚感をどんどん高めていくハーモニーと曲想にたしかな達成を感じます。
7曲目の「HIBIKI」ではとても悲しく、寂しげなアレンジだった楽曲が、こちらでは一気に使命感に駆られ突き抜けていくような熱く、カッコいい楽曲へ進化しています。ギターの導入から始まり、力強いパーカッション、浮遊感のある弦による副旋律。どこをとってもかっこいい。この楽曲からだけでも澤野音楽の新たな新境地を感じることができます。終盤の盛り上がりに入る前のパーカションだけになるパートは、まるで「機動戦士ガンダムUC」より「MSGUCEP7」のような手に汗握るような緊張感も。劇中では1人孤独を感じていたヒビキが仲間の力を借りながら、タワーを駆け上がっていくシーンで流れいて、音楽もヒビキの成長に合わせて進化を遂げているような感じがします。
15.NE-SAMA
バブルモチーフが歌声によって。「ドシシラ」のフレーズもあります。それとは別に丸い音色の新しい旋律も出てきます。これはある特定の泡(キャラクターをもった泡)のふたつめのテーマだと思っています。映画をみた人ならわかりますよね。中盤にバブルモチーフも大きく歪められています。「ドーソー♭ラーミー♭」と「13.2ndBUBBLE」に似た半音ズレによって巧みに表現されています。もっと言います。そのとき以上に複雑に不協和に歪められていて、強烈なエネルギー負荷がかかっているさまを体感することができます。
本作は、音響効果としてのSEがわりと少ないと感じました。普通であればいろいろな効果音で映像を補完したいところも音楽が果たしている。監督からの全幅の信頼といいますか、音楽に求めたものはとても大きかったのではと。監督の期待以上のもので応えた音楽なのではと。
バブルモチーフをハミングをメインに展開していきますが、途中でねえさまを象徴する不協和音のハミングが挿入。終盤もバブルモチーフメインで終わりますが、ストリングスのパートは「MARMAID」の冒頭の構成に似ています。
16.BUBBLE-cho.
映画で登場してきたバブルのモチーフやテーマたちがここで集結した!これまではそう思って聴いていました。でもそれだと違和感があるというか整合性がとれない。あくまでも僕のパズルのなかでです。集結したのではなく解体されていた。そういう仮説で進めます。
「20.色彩」です。ここに映画『バブル』のメインテーマ/主題曲としての完成形があった。そこからAメロBメロと解体していき映画のなかで散りばめられていった。とんでもびっくりな見方をしてみます。
「cho.」は、イントロはバブルモチーフが歌われ、Aメロは「色彩」Aメロです。伴奏にバブルモチーフが通奏され「ドシシラ」のフレーズも出てきます。Bメロは「色彩」Bメロです。サビは「1.BUBBLE」や「6.MERMAID」で聴けたバブルのテーマです。もう一度Aメロを奏したあと、大サビは「8.UTAtoHIBIKI」や「12.UTA」で聴けたウタのテーマです。その後バックグラウンド音楽として流れていき終盤に「7.HIBIKI」や「14.TOWER」で聴けたヒビキのテーマが登場して終わっていきます。
もし、本編ストーリーに沿った展開からの集合体とした場合、AメロとBメロはここで突然登場してきたことになります。「色彩」をベースにしないと解説することが難しい。詳しいことはまたあとで。
物語のクライマックス、ウタとヒビキの最後の時間をこの曲が優しく寄り添ってくれます。この曲に包まれながら涙された方も多いはず。ウタとヒビキが最後に心を通わせる瞬間はウタのテーマであるメロディがより印象的に残るはずです。澤野さん楽曲では珍しく合唱団 を起用した楽曲。今までボーカリストのスキャットやハミングの楽曲等は多数ありましたが、ここまで合唱を感じさせる楽曲はなかなか例がありません。「青の祓魔師」の「die Himmlische Musik」くらいでしょうか?
17.BUBBLE-THEME
「1.BUBLE」と同じ音色感に近いバブルモチーフから始まります。次に登場するのは「15.NE-SAMA」で聴けたふたつめのバブルのテーマです。次に登場するのは「色彩」Bメロです。一番盛り上がるところは「1.BUBBLE」や「6.MERMAID」で聴けた(ひとつめの)バブルのテーマです。もちろん「ドシシラ」のフレーズもあります。
そう、この曲は泡としてのバブルのテーマを集めたものと聴きなおしました。THEMEにはモチーフという意味もあります。曲名にTHEMEとあるからこの曲はメインテーマ?でも「16.BUBBLE-cho.」に入ってるウタのテーマもヒビキのテーマも出てこないし逆にこの曲にしかないのもある?…うまく惑わされてしまったと思っています。この曲はMAIN THEMEではなくバブルのテーマやモチーフだけを集めたBUBBLE-THEMEなんです。きっと。おのずと「16.BUBBLE-cho.」ともコンセプトの違う曲。きっと。
そうすると、ここでも重要なことが浮かびあがってきます。もしこの曲が僕の言うようにバブルのテーマを集めた曲だったとしたら、どうしてそこに「色彩」Bメロが登場しているのか。
実はこの曲は本編ではしっかりと使用はされていません。でもサウンドトラックでは「BUBBLE-THEME」としっかりタイトルが作られ、しっかりと本編サントラの最終曲として収録されています。元々はバブルのテーマはこの曲がスタートだったんでしょうか?ふらいすとーんさんのおっしゃるようにこの曲を元に劇中の尺に解体されていったと思うこともできます。
20.色彩
映画『バブル』のメインテーマ/主題曲はこの「色彩」なんだと強くおします。パート展開は「16.BUBBLE-cho.」にあるとおりです。一箇所違います。この曲は、大サビ・ウタのテーマに行く前にヒビキのテーマが架け橋になっていて、「cho.」で聴けたときと場所も印象もぐっと変わっています。まさにバブル完成形です。「ドシシラ」のフレーズもあって完全体です。
バブルのモチーフやテーマが有機的につながって結晶化された曲。この曲のキーはA♭です。大サビでCに転調して終わっていきます。言わずとバブルモチーフも「ラー♭ミー♭ファードー」と始まっていたものが「ドーソーラーミー」で終わっていきます。まるで始まりの泡に循環するように。輪廻転生のテーマも含んでいるかのように。この曲が終わって1曲目に戻してもきれいにまたつながります。
僕はすっかりエンドロールで流れるのを楽しみにしていたから残念でした。イメージソングだった?もちろんこの時点では単純に聴きたかった想い。でもここまで考察してくると、やっぱりエンディング主題歌として流してほしかったなと思います。どこかの曲でも記しました、もし本作でのコーラスが共鳴を表現しているとしたら。「cho.」の合唱は意志を継ぐものたちのコーラスだとしたら。まだ一体化されていないヒビキのテーマだとしたら。「色彩」をエンディングに流してこそ「cho.」が活きてくる。そう僕は思いました、ごめんさない。
元々は「BUBBLE-cho.」がかかるシーンで使用されることを想定されていたようですが、結局使用されずにボーナストラック的な形でサウンドトラックに収録されたようです。もし本編で流れていたら、どんな印象になったのかとても気になるところです。発表時期がたまたま近いということもあるかもしれませんが、[nZk]楽曲「LilaS」にも通ずるようなラブソングとなっています。清涼感のあるようなサウンドからは「BEEP」「pARTs」「Roads to Ride」などほぼ同時期リリースの作品達との共通性も感じることもできるはずです。中盤に挿入されているヒビキのテーマをこの楽曲内で聴くと分かると思いますが、直前のバブルテーマで出てくるサビとこのヒビキのテーマのコード進行は同じD♭→E♭→Fm(in A♭)(「色彩」の調性に基づきます)になっています。
22、BUBBLE-outtake1
劇中では第一次降泡現象の説明シーンで流れてきます。「2ndBUBBLE」の前半部に近い構成の楽曲です。楽曲の終盤にはピアノの音色が加わってきます。
23、BUBBLE-outtake2
蟻地獄に巻き込まれ、電車内で溺れそうになっているヒビキをウタが助けて、出会うシーンで流れてきます。前述の「PARKOUR」と同じ様に電車が出てくるシーンでは、踏切の音のような不協和音が流れてくるのが印象的です。後半美しいストリングのメインの音色に一転。「BUBBLE」などで流れてくるストリングスパートが流れて曲が終わります。
24、BUBBLE-outtake3
ウタがBBメンバーと出会い、はちゃめちゃに掻き回すシーンで流れています。「BB2」の別アレンジといったところでしょうか。
25、BUBBLE-outtake4
前半はエレキギターによるバブルモチーフの演奏。クワイヤの様な音色も追加されています。後半は「BB×UT」を短くしたアレンジが続きます。
26、BUBBLE-outtake5
「NE-SAMA」の不協和音バージョンのバブルモチーフのみの曲です。
27、BUBBLE-outtake6
BBメンバーがウタの救出へ、出発への迷いで揺れるシーンで流れています。ヒビキのテーマをスローにして、ギターでのアレンジになっています。ここ最近での作品で、メインテーマや重要テーマ曲をスローテンポでのギターバージョンが収録されることが増えている気がします。最近だと「86」より「8SIX <gt-ver.>」、閃光のハサウェイより「kdk-GT」などがあります。
28、BUBBLE-outtake7
赤い泡の威力が増してくるシーンで流れてきます。大きく動く様なメロディはなく、シリアスな雰囲気の音色が全体を支配しています。「進撃の巨人」より「進撃pf20130218巨人」の様な状況音楽に近い構成です。
29、BUBBLE-outtake8
物語の終盤、ヒビキ達が迎えた新しい日常で、新たなパルクールに挑むシーンで流れています。「BATTLEKOUR」のサビをアコースティックギターの音色でアレンジされています。
OMAKE、PIANO[-30k]-36‘’BUBBLE (fromバブル)’’
澤野弘之ファンクラブサイト内にて、澤野さん本人によるピアノソロ演奏で公開されています。「BUBBLE」(「BUBBLE-THEME」)「HIBIKI」(「TOWER」)をまとめたピアノソロアレンジになっています。本編ではピアノソロ曲がなかったため、こちらで聴けるアレンジが貴重なテイクとなっています。
楽曲解説はここまでとなります。ふらいすとーんさんによる楽曲解説が素晴らしく、改めてサントラをお聴きになると印象がまた変わってくることと思います。久石さんの活動を追う中でクラシック音楽の造詣にも深く、またサウンドトラックを始めとする商業音楽の分野にも詳しい方なので、とても密度の濃い解説になっていることと思います。澤野さん関連作品も初期から聴いて頂いている作品も多い様なので、気になった方は、久石譲ファンサイト「響きはじめの部屋」(@hibikihajimecom)やふらいすとーん様のツイッター(@suonoarmonici)などをぜひチェックしてみてください。
改めて、今回の楽曲解説の提供と両サイトの同時企画のご協力、本当にありがとうございました。
澤野さん自身も久石さんを尊敬する作曲家の1人として、度々話題にも出てきており、澤野さん自身も久石さんのコンサートに行ったり、作曲の参考にしていることもよくインタビューやブログなどで触れています。最近の作品では「群青のファンファーレ」より「Blue[3-6]」は久石さんの「Summer」を参考に作曲されたようです。
今後も両サイトで合同企画等出来れば、嬉しく思います。引き続きよろしくお願いします。
レヴュー②さだくに【$αdÅκμИi】様 寄稿文
LIVE[nZk]007のコラムでも非常に熱意のこもった感想をお寄せいただいた さだくに【$αdÅκμИi】 (@1con_atrN6_WF07) 様より、今回も深い考察を寄稿していただきました。
劇場で「バブル」を観終えた後、サントラを聴き、感動と同時に安堵したことを覚えています。
「サントラ予習しないでよかった」と。
それは今回の劇伴が、かつてないほど映像と不可分になっていると分かったためです。
劇伴音楽が映像と切り離せないというのは、当たり前といえば当たり前の話です。ですが澤野さんの劇伴に関して、私は、「曲単体の持つパワーが映像との親和性を生んでいる」という“劇伴→←映像”のイメージを持っていました。
しかし「バブル」のサウンドは「映像とセットで真の力を発揮する」、いわば“劇伴=映像”のイメージ。
極めて劇伴らしい劇伴と言えるでしょう。
だから、あらかじめサントラを聴かず、映像と音楽ともに最高の状態で体験できる映画館をファーストコンタクトの場にできたことに安堵したのだと思います。
そして同時に、今作の在り方は、“澤野さんの”サウンドトラックとして異質な印象を私に与えました。
なぜか?サントラを聴きながら考えたところ、そこには「フィルムスコアリング的」といった点にとどまらない、「バブル」の劇伴としての必然性・妥当性があったのではないか、という結論に至りました。
このことについて、この場をお借りして、自分なりに解釈を試みたいと思います。
1.サントラを聴いて初めて分かった「異質さ」
「バブル」の劇伴の異質さに初めて触れたのは、映画を観た夜サウンドトラックで曲単体を聴いた時です。
大きく2つあるのですが、いずれも、映像とセットではなく「サウンドトラックという媒体」に組み直された状態で聴いたからこそ気づけたポイントだと思っています。
1つは、一貫したモチーフです。
サウンドトラックで全曲さわりの部分だけ聴いた時、アレンジこそわずかに違えど、ほとんど全ての曲に全く同じ要素が組み込まれていたのです。
1曲目、メインテーマ「BUBBLE」、特にその始まりを告げる4音のモチーフ。「バブル」作中世界を象徴する「泡」の呼び声にして、ヒロイン・ウタの“歌声”のことです。
作品全体を象徴するメインテーマの旋律が、戦闘用BGM、日常BGM、悲劇、ギャグシーン、バラードと様々に形を変えて流れるのは劇伴音楽の醍醐味です。それだけならこれまでの澤野さんも例外ではなく、自然なことのように思えます。
しかし今作はメインテーマからの引用がとてもストレートでした。4音のモチーフに至っては「色彩」を除く劇伴中7曲に登場しており、6曲は全てこの音から始まっています。
私の場合、もし映画の前にサントラ単体を聴いていたら、当然素晴らしい曲とは思いつつも「なんか同じ曲多くない?」と疑問符が沸いていたでしょう。
お恥ずかしい話ですが、私自身はサントラが好きと言いながら、これまで聴いた「アルバムとしての」サントラはまだまだ多くありません。ですので、音楽媒体としての「アルバム」について考えるときは、どうしても歌モノのアルバムを想定してしまう節があります。
本作がサウンドトラックでないと仮定すると、収録曲中6曲の出だしが全く同じというのは、実験的なコンセプトアルバムや、有名すぎて1曲に対し膨大なアレンジが存在する曲のコンピレーション(TM NETWORK「Get Wild」や「踊る大捜査線」主題歌「Love Somebody」など)といった特例でない限り、極めて異質、というより異常事態です。
本作はサウンドトラックのため歌モノのアルバムとは勝手が違うというのはその通りですが、澤野さんのサントラにおいても、アルバム一枚の大半を同じモチーフの楽曲が占めるということは稀なはずです。
もう1つは曲順です。
本作においては全曲の並びが、主題歌およびボーナストラックの「outtake-」曲群を除き、ほぼ劇中で流れた順となっています。
これも映像作品のサウンドトラックなら別段不思議ではないことですが、私が知る限り、澤野さんの手掛けた作品においては珍しい例のように思えます。
聴いた限り、澤野さんの作品にはどれも曲順への明確な意識、アルバム単体でも楽曲を楽しめる工夫が感じられます。
アルバム単位でサントラを比較すると、曲は必ずしも作中で流れた順ではなく、メインテーマが先頭の方、ボーカル楽曲がインストの間に散りばめられ、特に印象的で重要な楽曲は1曲目や最終曲に配置される、といった傾向が見えてきます。1曲目からアルバムに強く引き込み、曲の流れに緩急をつけ飽きさせず最終曲へ持っていくという、アルバムとして通して聴かれることを想定した技と言えるでしょう。
例を挙げると、TVシリーズ最終話にたった一度だけ流れるボーカル楽曲(「God of ink」)を1曲目に据え、サントラを聴いた後に最終話の放送を迎えた視聴者を驚かせた作品があります(「Re:CREATORS」)。最終曲には物語後半の劇的な戦闘シーンで幾度となく流れた「BRAVE THE OCEAN」が配置され、アルバムとして聴いても作品のワクワク感を常に維持しつつ、本編と同様、清々しい余韻と共に聴き終えられるように出来ています。
また澤野さんの歌モノ、SawanoHiroyuki[nZk]のベストアルバムとなったBEST OF VOCAL WORKS[nZk]2(Disc2)では、これまでのシングル表題曲全てが全体のバランスを踏まえて並べ替えられている中で、プロジェクトの始まりにあたる1stシングル「aLIEz」は1曲目、当時最新曲にして15周年を記念するアンセム「BELONG」は最終曲に配置されています。密度の高いアルバムを通して聴かせる工夫だけでなく、これまでの歴史の要素を付与して、ベストアルバムとして一本筋を通し、澤野さん自身の思い入れもアルバムへ反映する構成であると言えます。
このように、サントラの曲順に何らかの意図を示唆させてきた澤野さんが、「バブル」で選んだ曲順は「ほぼ劇中で流れた順」。
何か理由があると、あえてそうしているのだと感じざるを得ませんでした。
以上2つの他、「同じ曲の別アレンジ2曲分を1トラックにまとめない」、「別々の曲2曲を1トラックにまとめない(そうだったとしても別々の曲に聞こえない)」、「1分未満の楽曲が1トラック扱い」、そして「歌詞のついたボーカル楽曲がない」といった点もありました。
異質に次ぐ異質。澤野さんのサウンドトラックにしては特有のやり方があまり見られず、一般的「サウンドトラック」のパブリックイメージにとても近い、とも表現できます。
「そういうものじゃないの?」と一蹴されてもおかしくはないのですが、曲調が全く異なるボーカル楽曲とインストが1枚のサントラに混在し共存している構成に衝撃を受けた自分としては、「バブル」が澤野さんにしては(少なくとも私にとって)「サントラらしすぎる」ことがどうしても気になったのです。
そのため考えました。
なぜ「バブル」のサウンドトラックは異質に聴こえたのか?これらの「異質さ」の根源は何か?
2.映画「バブル」におけるサントラの「異質さ」の意味
その答えの鍵は、最初に述べた、「バブル」の楽曲がかつてないほど映像と不可分になっていることにあると思います。
結論としては、本作の劇伴は「映画そのもの」として作られたからではないか、ということです。
それはただ単に、映像の動きとシンクロするように音楽が作られ、エディットされていることだけではありません。
映像に対して音楽があてられたというより、ストーリー、キャラクター、風景と同じように映像の中に音楽が存在している、というイメージ。
構想・制作の最初から、劇伴音楽は本作世界の核だったのではと私は考えています。
先述した本作の「異質さ」について、本編の内容と照らし合わせて解釈を試みる中でこの考えに至りました。
第一に、一貫したモチーフ。
特にメインテーマ「BUBBLE」から大半の曲に組み込まれている「4音のモチーフ」ですが、作中で描かれる、「泡」がこの音を発する場面あるいはウタがこの音で歌う場面は、決まって物語が動く起点となっています。
「バブル」は人間であるが「泡」の声を聞ける主人公・ヒビキと、「泡」の集合体、それどころか人間の上位存在かもしれないヒロイン・ウタ、異種間の心の交流を主軸とする物語です。
であれば、コミュニケーションの基本的手段のひとつ「音声」が、物語の中心となるのも物語が動く起点となるのも、当然のことと言えます。
その「音声」をキーにするのであれば、それを音楽の一部にして、「泡」の呼び声と劇伴音楽とをシームレスに繋げるというアプローチに至るのも理にかなっています。
こうした流れで、世界観・キャラクター・物語に要請される形で。「バブル」の劇伴は澤野さんにしては珍しい、いわゆるフィルムスコアリングのような形になったのだと推測できます。
「泡」≒ウタの声は効果音として、劇伴と別に作るということも出来たはずですが、本作に関してはどちらも澤野さんが手がけて正解だったと言えます。
あの「4音のモチーフ」を聴いて、何でできた音かすぐに分かる人がいるでしょうか?少なくとも私は、公開からしばらく経った今も本当に分かりません。どなたかご存知でしたら教えてほしいくらいです。
初めてあのモチーフを映像と合わせて耳にするとき、ほとんどの人は「何らかの不思議な音」としか言いようがない、よく分からない、と思うはず。
「よく分からなさ」を聴いた者に生起させるような音で、人間と異なる存在の声を表現したかったのだと思います。
壮大な世界観の作品を任されることが多く、シンセを駆使する作風の澤野さんはまさに適任だったと言えるでしょう。
そして物語の根幹、ヒビキとウタ(「泡」)の交流の象徴として「音声」=4音のモチーフを中心に据え、物語・キャラクター・世界観・劇伴を完全に符合させるのであれば、作中にそれ以外の歌があると邪魔になってしまう。
だから本作では、澤野さんの得意技である歌詞のついたボーカル楽曲が存在しないのだと考えられます。挿入歌を想定していたらしい、ウタ役・りりあ。さん歌唱の「色彩」が本編中で流れなかったのもその点を勘案した結果だと思います(個人的には本編中で聴いてみたかった気はします)。
同時に、4音のモチーフをはじめとした、メインテーマからの引用が非常にストレートである点。やや悪い言い方だと「同じ曲が多いように聞こえてしまう」点も、音のモチーフが物語自体と完全に符合しているため、必然的に同じモチーフを繰り返すことになったから、と解釈できます。
第二に、サントラアルバムの曲順。
「バブル」の劇伴、特に「4音のモチーフ」は物語自体と完全に符合しているというのは先述の通りですが、この「曲順」も同じ要因によると考えられます。
1つのモチーフを中心に据え、それを変化させることで物語を推進させる。そういうアプローチをとった以上、物語の流れに逆流する曲順にすると、アルバムの流れとしても不自然になってしまうと判断されたのではないでしょうか。
例としては11曲目「PARKOUR」。幾度か共通のモチーフを繰り返したのち物語中盤で流れるこの曲は、出だしの4音のモチーフからいきなりウタの声が乗る初めての曲です。
ブルーブレイズでの生活、庭園での対話などを経て、ヒビキとウタが初めて二人一緒に跳ぶ場面で流れ、二人の関係性の調和と共感、そして二人に思慕の生まれる瞬間を表現した、解放感溢れる名曲です。
逆に言えば、ここに至るまでの関係の変化、その積み重ねが、4音のモチーフはじめメインテーマ由来の共通モチーフの入念な繰り返しとセットで描かれ、強く印象付けられるからこそ、このシーン、この曲でウタの声を耳にするカタルシスが生まれるわけです。
そのため、アルバム単位で聴く場合でも、「PARKOUR」の後に「MERMAID」など劇中の時系列では前にあたる楽曲を配置すると、カタルシスが弱まってしまう。
こうした点を踏まえた結果、アルバムの曲順も劇中で流れた順にならうことが、楽曲の持つ力を最大化すると判断され、現在のサウンドトラックが形になったのではないかと思います。
自身のボーカルベストアルバムが、これまでの楽曲制作の歴史という要素によって一本芯が通っていたのと同様、本作でも、ストーリーの進む時系列という時間的要因が全体を貫いています。
ただし本作における時間的要因の中には、作中世界やキャラ――特にヒビキとウタが変化していく過程がしっかり織り込まれているため、迂闊に順序をいじれなかったのではないでしょうか。
こうして考えていくと、やはり「バブル」においては、映画を構成するあらゆる要素が音楽と不可分になってしまっているために、サウンドトラック単体だけでも、もう「映画そのもの」と捉えてしまっていいのではないか、と思わざるを得ません。
映画「バブル」。重力から解放された東京を舞台とする、現代のメルヘン。
そのサウンドトラックには映像、ひいては物語への凄まじい重力があったというアイロニー。
「人魚姫」を下敷きとしたこの作品の劇伴音楽もまた、寓話のような性質を帯びているというのも奇妙な話です。
しかし本作の鑑賞体験は、徹底して劇伴が映像と重力で結びついていたからこそ得られるものだと、本作の映像・音楽に胸を打たれた方ならお分かりいただけると思います。
冒頭から胸を掴まれる、「BATTLEKOUR」に合わせて跳ね回る若者たちの疾走感。
ヒビキとウタが始めて一緒に跳び、真に心を通わせるシークエンスの「PARKOUR」で、ウタの“歌声”4音のモチーフの意味合いが変わる瞬間。
人智を超えた存在の象徴「泡」の化身でもあったウタが、更なる上位存在と対話を試みた「NE-SAMA」の絶望。
そしてヒビキ・ウタの恋の終着点、「BUBBLE-cho.」の流れる中、泡の軌跡でヴィジョンを描きながら駆けていく瞬間の二人の躍動、他には真似できないあの美しさ。
「バブル」のサウンドトラックは、普段楽曲自体の強さで映像と対峙していた澤野さんが、強さそのままに、徹底的に映像と共に在ろうとした結果誕生した、新たな澤野サウンド体験の象徴ではないでしょうか。
3.結びに―LIVE【emU】2022という新たなる「重力」
ここまで、「バブル」のサウンドトラックが、作品全体の持つ重力によって、映像と切っても切れないのだということをどうにか説明しようと試みてきました。ほんのわずかでも伝わっていることを願っています。
しかし悠長にそんなことを言っているうちに、本作を全く別の形で、そう、“映像と切り離された形で”体験する機会が近づいてきました。
2022年10月1日開催予定の、澤野弘之LIVE【emU】2022です。
澤野さんの歴代担当作品の中でも、あれだけ徹底して映像とマッチして作られ、エディットされたであろう楽曲群が、単体として生で演奏されるとどうなるのか?非常にドキドキしています。
「バブル」には澤野さんと縁深い「荒木哲郎監督作品」という括りがありますが、LIVE【emU】では、新旧問わずこれまで澤野さんが担当したあらゆる作品の楽曲が演奏されます。荒木監督作品という枠では収まらない、そんな闇鍋の中に「バブル」の楽曲が放り込まれたら何が起こるか、もはや予測できません。
同時に、ワクワクも抑えきれません。
澤野さんの、アルバムの曲順へのこだわりについて述べましたが、それはライブのセットリストの組み方も同様です。LIVE【emU】においては、「自分にとって大切な曲である『BLUE DRAGON』(医龍)を最後に演奏する」「メインプログラムとは別に、『キルラキル』『プロメア』の楽曲を集中させたTRIGGER作品の劇伴パートを作る」といった過去の例があります。
「バブル」の楽曲群においても、他作品楽曲との結びつきや、ライブ全体の流れによって、映像とセットで聴いた時とは異なる、全く新しい味わい、意味合いが付与されるだろうと思います。
1つの作品の異なる劇伴音楽群を、映像作品との結びつきから一旦離し、別作品の劇伴と結びつけ、新たな意味を与える。
澤野弘之がセットリストを組むということは、重力操作のような行いなのかもしれません。
そういうわけで、多くの方にとってLIVE【emU】2022は、映画を通して形成された「バブル」の楽曲へ抱いた印象が変化する機会だと考えられます。楽曲の別側面を知る機会であり、人によっては真の姿が明らかになる機会にもなるでしょう。
LIVE【emU】2022を通して、「バブル」の音楽に果たしてどんな意味が付与されるのか。
何事もなく開催されることを祈りつつ、澤野さんが新たに創りだす重力の流れに、しかと備えたいと思います。
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